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文科省の新学習指導要領の生みの親は?
2016年 4月 18日(月曜日) 00:00

新学習指導要領草案作成の中心となられた当時の文科省視学官太田光春氏は、実際にどんなことを言われているのかも見てみましょう。先にもお話ししましたが、公演では「日本は日常生活で英語を使わない。



せめて、学校の英語の授業時間は英語を使う時間にしないと使えるようになるわけがない」と話されていました。新学習指導要領の趣旨は、英語の授業では英語があふれる環境をつくろう、ということなのです。


こんな新聞記事がありましたので、見みましょう。(『厳格な翻訳英語からコミュニケーション英語に文部科学省視学官、太田光春氏が講演』教育メディア新聞)


「太田氏は、小中高等学校で英語教育に携わる教員に向け、75分間を全て英語で講演。」



この方は「英語が使える」ことは間違いありません。私が聞いた講演は一般の方対象でしたのでさすがに英語で75分ということはありませんでしたが、台本など一切見ずに10分ほど英語で話されていました。それに引きかえ、大学教授などの専門家や「優秀な」英語の先生が、講演や研修を英語でやっているのは見たことも聞いたこともありません。


「言語習得は、曖昧さに耐えながらその曖昧さを減じていく営み。日本人は英語ができない、と思い込みすぎではないのか。その思い込みは、これまでの高等学校現場での英語教育が、文法を知識として身に付けさせることと、訳読することを中心にしてきたことが原因。かつてのラテン語教育と同じ手法(文法訳読)を使っている高等学校も少なからずあり、読解はできるが、音声面での習熟が全くできていない生徒を生み出すという実態がある。英語をコミュニケーションの手段として活用する能力を身に付けさせることができていない。この点を抜本的に改善することが、日本の英語教育に強く求められている。」



「曖昧さに耐える」というのは英語教育の論文でも目にしたことがあります。ただ「耐える」というのは大げさな感じがします。「受け入れる」という方がピンとくるかもしれません。要するに、「全部わからなくてもいいんだよ」ということです。


私は、「外国語を身につける過程は、1つ1つの小さなブロックをしっかり積み上げていくのではない。うすく広いシーツを1枚1枚広げていく感覚だ。『広く浅く』を続けていくうちに、大きな塊ができあがる。」


「うすくて広いシーツ」のたとえは、強烈に記憶に残っています。曖昧でもいいからたくさん使おう、それが積み重なって少しずつ正確にしていけばいいじゃないか、ということだと思っています。


新学習指導要領を猛烈に批判している先生方は、中1の2学期から「主語、目的語」を説明し、英語の仕組みを正確に理解させるのがいいと主張されています。「曖昧さ」のせいで、生徒が英語嫌いになるという発想です。私の考え方は、文科省の太田氏とは全く逆です。


「曖昧さをなくす」、「全部わからせる」といった教え方では、英語が使えるようにならないということは、歴史が証明しているのではないでしょうか。私は高校時代、知らない単語は全て辞書で調べ、全ての文をまず節に分解し、主語・述語動詞・目的語・補語・副詞句・形容詞句に分けてから和訳していました。国立大学の外国語学部に現役で合格しましたが、大学に入っても簡単な小説1つ読めませんでした。みなさんもそうではないですか。


文科省の考え方が全て正しいかどうかはわかりませんが、「方向性」は先生方の主張より「まとも」だと私は思います。


先生方は『「授業は英語で」は時代遅れ』という記事でこのように言っています。


それ(「英語の授業は英語で」の方針)によって傷つき疲弊するのは、子どもたちであり教員である。その責任を、だれが、どう取るのか。


お話ししたように、私は英語の授業を「基本的に英語で」行っています。今、担当している生徒(中学生・高校生)にアンケートをしてみました。全生徒約100名なので、統計的に意味がないと言われればそれまでなのですが、ぜひ見てください。


A.あなたの先生は、授業中どのくらい英語を話していますか?

75%以上・・・・・92票100.0%


B.英語の授業では先生がどのくらい英語を話した方がいいと思いますか?

1.難しい説明以外は英語で話してほしい・・74票 73.5%

2.全て英語で話してほしい・・・・・・・・14票 13.3%

3.簡単な英語だったら話してほしい・・・・11票 10.8%

4.英語で話さないでほしい・・・・・・・・3票  2.4%

5.少しは英語で話してほしい・・・・・・・0票  0.0% 


自分ではほとんど英語で話しているつもりですが、必要なときには日本語も使っています。どのくらいの割合で話しているのか、生徒に聞いてみた方が確実だろうと思って質問したのですが(問A)、75%以上は英語を話しているということでした。そんな私の授業を受けた生徒のうち、90%以上が「先生に英語で話してほしい」と思っているのです。(B.①②③)


さて、この90%以上の生徒は「傷ついて」いるのでしょうか。(2.4%の生徒を傷つけていることは確かでしょう。大体誰かは想像がつきますので、いろんなフォローをしています。もちろんうまくいくかどうかはわかりませんが。)


こんなことを言う卒業生もいます。


「大学の英語の授業は、文法の説明ばかりで、当てられて和訳を言わされる。この部分は目的語か補語かと言わされる。だから全然ついていけない。やっぱり高校で文法を勉強しておかないと苦労するんです。」


確かにこの卒業生は傷ついています。ですが、一体誰が傷つけているのでしょうか。高校時代に文法を教えなかった私でしょうか?この生徒は高3の7月に英検2級に合格していますし、高3の7月に受けたベネッセGTECテストでも「高校上級」のグレードです。英語は好きで得意な生徒だったのです。


英語圏の小学4年生ぐらいが対象の児童書や、英訳マンガを普通に読んでいましましたし、今でも私とは英語でメールやメッセージのやりとりをしています。決して、英語が使えないわけではないのです。むしろ、周りの学生よりも英語力は高いのです。実際大学でも、外国人の先生のライティング授業では成績もよく、周りの学生からも頼りにされているとのこと。


推薦入試で入ったので「一般入試で入った子は受験勉強バリバリしているから、自分はついていけないかも」と心配していたのですが、大学に入って、受験勉強してきた子がこんなに英語ができないのかと驚いたそうです。


彼女を傷つけているのは、文法の説明や日本語訳を「強制」して、全然英語を使わせようとしない大学の先生ではないでしょうか。