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英語を英語で教える発想?
2016年 4月 11日(月曜日) 00:00

専門家と呼ばれている先生方、とくに江利川先生は、高校の新学習指導要領の「英語の授業は原則英語で行うことを基本とする」という方針を、ご自身のブログで何度も批判されています。(『「授業は英語で行う」への異論』『高校の「授業は英語で行うことを基本とする」の問題性』『「授業は英語で行う」考』『「授業は英語で」の誤りに対する毛利教授の見解』など)



新指導要領が施行された2013年度が始まる前後、つまり2013年の3月から4月あたり、テレビや新聞、雑誌でも「英語で行う授業」が取り上げられていました。知り合いの先生も、その一環でテレビ取材を受けたのです。


実は私も新聞社の取材を受けました。本音が聞きたいと言うので、「海外留学経験もない、英語をまともに話せない教員が、英語で授業するこてゃできるわけがない。相変わらず文法訳読と受験偏重は変わらないと思う。指導要領を無視する先生がほとんどだろう」と話したのですが、さすがに記事にはなりませんでした。


みなさんは指導要領の原文を読まれたことはあるでしょうか。何が書かれているのか見てみましょう。(『高等学校学習指導要領』


第3款各科目にわたる指導計画の作成と内容の取扱い2内容の取扱いに当たっては,次の事項に配慮するものとする。

(3)英語に関する学科の各科目については,その特質にかんがみ,生徒が英語に触れる機会を充実するとともに,授業を実際のコミュニケーションの場面とするため,授業は英語で行うことを基本とすること。その際,生徒の理解の程度に応じた英語を用いるよう十分配慮すること。 


お役所文書で読みづらいですが、よく読んでみてください。「英語の授業は英語で」の前には、これだけの前書きがあるのす。「英語の授業は英語で」の部分だけを取り出して議論しても何の意味もありません。


ところが、「英語の授業は英語で」に反発する先生は、こんな「とまどいの声」をあげます。


「文法を英語で説明しても、生徒がわかるわけがない。」

「本文の内容を英語で説明しても、生徒がわかるわけはい。」


残念ながらその「とまどい」は的外れです。


学習指導要領は「英語で説明しろ」とは一言も言っていません。授業時間中に、生徒が「英語でコミュニケーションする」ようにしてほしいと言っているのです。そして、英語に触れる機会を増やすために、先生にも英語で話してほしいと言っているのです。わざわざ「生徒の理解に応じた英語を用いるよう十分配慮すること」、つまり「生徒がわかる範囲の英語で話して」とも書いてあります。生徒が英語でわからないようなことは、日本語で説明すればいいのです。


この学習指導要領作成に深関わっている文科省視学官は、講演で次のように話されていました。


「日本では生活の中で英語を使わないからこそ、英語の授業くらい英語があふれる環境をつくってほしい。」


一方、先生方の主張はこうです。


「日本では日常生活で英語を使わないからこそ、文法訳読を重視すべきだ。」「日常的に使わない状況で、たかだか6年やっただけで実用レベルに達するはずはない。」


みなさんはどちらを支持しますか?もう一度指導要領の原文を見てみましょう。


「英語に関する学科の各科目については,その特質にかんがみ…」


これは、「英語は使ってナンボ!」だから、「生徒が英語に触れる機会を充実するとともに,授業を実際のコミュニケーションの場面」にしてほしい。そのために「先生も、英語で話してください」ということでしょう。


ところが日本の学校では、教師が生徒に知識を「教える」というのが普通でしたから、「教える」ことしか思いつかない英語の先生は、「英語の授業は英語で」などできるわけがないのです。


みなさんが学校で受けた英語の授業を思い出してみてください。授業中、生徒が「英語を使う」時間はどのくらいありましたか。限りなくゼロに近かったのではないでしょうか。生徒が本当に「英語を使う」時間が10分もあれば、それはもうすごい授業だと思います。そんな状況なのです。


先生方にならって、体育にたとえると、こういうことではないでしょうか。「体育の授業では、ルールや技術の説明や用語の暗記作業を教室でやるだけでなく、実際にグラウンドや体育館で生徒にスポーツをさせてください。先生も生徒と一緒にプレーして見本を見せてやってください。」ごくごくあたりまえのことです。


座談会では、「(体育の授業だけで)全国大会に出られないと文句を言う人などいないのに、なぜ英語だけは文句を言われるのだ。」というお話をされていますが、もし体育の授業で、運動は一切しないで、教室で説明と暗記ばかりの授業だったら、みなさんも文句の一つは言いたくなるでしょう。


私は、今の学校では新学習指導要領対象の学年は担当していませんが、米国の大学を卒業したこともあり英会話は得意分野なので、授業ではほとんど英語を話しています。英語で本文の内容や文法を説明するわけではありません。英語だと生徒がわからないと思うことは日本語で話します。英語で話して生徒が「ポカーン」となったときも、すかさず日本語で話します。(生徒が勝手に「えっ?今なんつった?」と周りの生徒に聞いていることもあります。)


あまり日本語は話したくないので、説明が必要なことは最初からプリントに日本語で書いておきます。生徒は私の英語を聞きながら、英語でわからない部分は日本語を使って理解しているです。結局は「バランス」の問題ではないでしょうか。


私は週1回、図書室で自由に英語の本を読む「多読授業」をやっているのですが、ある日、授業が終わると、外国語学部英米語学科進学が決まっている生徒が、「先生、大学でTOEFL受けなきゃいけない。どうしたらいいの?」と聞いてきました。私は、以下のことを全部「英語で」話しました。


「多読多聴しかない。卒業生も借りられるので毎週ここに来て英語の本を借りて読みなさい。物語系だけじゃなくって、長めのノンフィクションも読んだ方がいい。家は映画やドラマを英語字幕で見まくる。大学の先生は、単語や文法だというだろうが信じなくていい。


オレのスコアはPBT633、TOIEC990だ。それ以上とっている大学の先生はそうはいないから、オレの方を信じなさい。あと、親のクレジットカードを使いamazonでアカウント作って、iPhoneにKindleアプリをインストールする。Push to Kindleというアプリもインストールすれば、WebからKindleに送って読める。英英辞辞書も入っているから、新聞なんかも、手当り次第読める。」


もちろん、本の実物を見せたり、自分のスマホでアプリを見せたりしながらですが、すべて英語です。生徒は「わからない」という表情は一切見せずに、時々質問しながら聞いていました。


こんなこともありました。3年生の授業、11月に推薦入試やAO入試で進路が決まった生徒がたくさん出てくると、どうしても雰囲気がだれてきます。毎年この時期の3年生には「お説教」するのですが、今の生徒には普段から英語で話しているので、私自身気がついたら英語で30分ほど説教していました。


授業が終わってからある生徒に、「言ってることわかったのか」と聞くと、こう言われました。「まぁだいたい。他の先生にも最近結構言われてますからね。先生もよくあれだけ英語で説教できますね。感心しましたよ。日本語でやられるよりはマシですけどね。」


学校の日常の中でふっと英語が出てくる、新指導要領はそんなことを目指しているのではないでしょうか。ふざけていると思われるかもしれませんが、「生徒が英語に触れる機会を充実するとともに,授業を実際のコミュニケーションの場面とする」とは、こういうことだと私は思っています。英語で英語を「教える」わけではないのです。