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英語の学力って何?学力自体が魔物?
2016年 2月 29日(月曜日) 00:00

私たちはよく「学力」という言葉を使っていますが、今見てきたように、「学力」というものはそんなに簡単に測れるものではありません。英語に関しては特にそのようです。



例えば、私は英検1級(2001年)、TOEIC990満点(2009年)、TOEFL(PBT)633満点(2011年)で、英語の資格試験だけを見たらトップクラスの英語力があることになります。しかし、資格はもっていないけれど私よりも英語が使える友人は何人もいます。使えるというのは、例えば、読みたい本を母語と同じ感覚でどんどん読める、ということも含まれます「これ面白いよ、読んでみなよ」と友人に貸してもらった本を私は全然読めない、ということもよくあります。


中学生や高校生を見ていても「負けた」と思うことがあります。週に1時間、CALL教室で、英語の動画やDVDを自由に見せています。日本語は字幕も含めて厳禁です。1年以上映画を見続けた生徒は、英語の字幕もうざいと言って、英語音声だけで見ていました。本当に理解できるのかと思い、今のシーンどういう話だったの?と聞いてみると、内容を説明してくれます。


試しに私も見てみましたが、字幕なしでは何の話か全くわかりません。彼は、英語で正確に何て言っているかはもちろん聞きとれていないけど、映像もあるんだから、話の筋くらいはわかるでしょと言ってのけるのですが、私は映像を見てもわからない。この生徒は帰国子女でもないし、英語圏に留学したこともありません。私は、高3のときに英検2級には合格しましたが、英検1級の私よりはテストの点は低いに決まっています。 


学校での英語授業の目標が、入試や検定等のテストで高得点を上げることであれば、偏差値が下がったことが学力低下と結論づけてもいいでしょう。しかし、英語が使えることを目標にした場合は、そうではないのです。鳥飼玖美子先生が。「英語コミュニケーション能力は測れるか」という論考でTOEFL導入を批判されています。


「政府の提言では、TOEFLテストなどの検定試験のスコアという数値でコミュニケーション能力がわかる、と単純に考えているようです。もっとも、このような思いこみは、政界、財界、一般社会にも根強く蔓延しています。」


先生方も、試験のスコアという数値を見て学力が下がったと言われていますが、それは思いこみではないのでしょうか。あるいは、コミュニケーション能力はテストで測れないが、学力は測れるということでしょうか。もうわけがわからなくなってしまいます。


それでも、多くの方はやはりテストがなければ学力は測れないと思われるでしょう。もう一度、私の生徒のテスト結果を見てください。前に少しご紹介したベネッセのGTECテストです。私が担当した生徒(約80名)の平均点を、全国平均の推移(高1から高3)と比較してみます。


トータル全国408→460本校325→456

リーディング全国151→173本校120→163

リスニング全国155→180本校127→179

ライティング全国102→106本校69→104


いかがでしょうか。この生徒たちはいわゆる文法訳読は一切行っていません。文法の参考書や問題集は一つも持たせていませんし、辞書すら持たせていません。授業では、文法の練習問題や、和訳は一切しません。「目的語」「補語」「名詞節」「不定詞の副詞的用法」といった文法用語も知りません。徹底的な「コミュニケーション重視」「文法和訳軽視」です。そのような生徒が、全国平均以上のスコアの伸びを示しているのです。しかしそのテスト内容が彼らの力を適切に測るものになっていなければ、学力低下と判断される可能性もあります。


どうでしょう。テストによる学力判定がいかに難しいかおわかりいただけたでしょうか。学力など測る必要はないと言っているわけではありません。本当に学力が測りたいのならペーパーテストだけでなく、毎日の生徒の様子をじっくり観察して判断しなければならないのです。そのためにも、一方的な教える授業ではなく、コミュニケーション活動も授業時間内で十分に行わなければなないと私は思っています。


学力というのは、見方によってどうにでも解釈できる魔物のようなものです。目指すものが違えば学力も変わってきます。一昔前、文科省が新しい学力観といったことを前面に出す時期がありましたが、テストの学力が下がったという世論に押されてしまい、今ではそんなことはほとんど聞かれなくなりました。 


英語教育の専門家でも、学力の落とし穴にはまってしまうものなのでしょうか。