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国際人ではなく、グローバル人材育成の場としての英会話スクール
ほんとにあった!失敗しない英会話スクール選び
2014年 11月 17日(月曜日) 00:00

日本人は、書かせたり、リーディング能力をチェックすれば、彼らよりもずっと高度な英語力をもっている例も少なくないのに、自己主張ができないのです。自分の意見がないためか、あるいは自分の意見をもっていながら、発表する能力がないためか、とにかく自己主張に欠けます。

「とりわけ、ビジネス交渉の場では、「私はこう思うが、あなたはどうか」と臆せずに主張することが大事なんです。主張が折り合わない場合は喧嘩というか、ディベートのようになり、いずれかのいい分が通るまで、カンカンガクガクのいい合いを続けなければ、自分のぺースのビジネスなどできっこありません。

日本はこれまで、ともすると、相手のいいなりになってビジネスを進めてきました。しかし、これからは、日本のいい分もちゃんと通し、むろん相手の主張もきちっと受け止める。こうしたフェアな交渉ベースに立たなければ、世界から相手にされなくなってしまうでしょう」とある経営コンサルタントも、日本のビジネスマンの英語力に、これからの日本の信用がかかっていると指摘しています。

「いい大人が自分の意見もいわないでニヤニヤしているだけ。これでは、外国人の目にはちょっと頭が弱いか、ずる賢いとみられてしまう。本当は日本人は世界でもまれにみる誠実な国民であるだけに、そんなふうにみられてしまうのが残念でなりません」

交渉の場で、日本のビジネスマンが自分の意見を言おうとしないのは、上司の指示を得なければならない、という上意下達型の、日本式の意思決定システムも大いに影響しているでしょう。しかし、たとえそうであっても、自分の意見はコレコレです。上司にもそう伝え、最終的な判断を仰ぎます、という形で、自分の意見を述べなければ、単なる伝令役にすぎなくなります。

日本人が英語で自分の意見を発表しようとしないもうひとつの理由は、人前で恥をかくのはいやだ、という日本人独特の「恥意識」があることも事実でしょう。完壁な英語をしゃべるのでなければ恥ずかしい。下手な英語では恥をかくと意識過剰に思いこんでいるのです

こうした意識の底には、外国人コンプレックスが潜んでいるのでしょうが、もともと、日本人は英語国民ではないのです。いってみれば、下手でもともと。下手で当たり前なのです。そう開き直って、下手な英語でも堂々としゃべるぐらいになってほしい、と切に願うばかりです。

よく、英語で喧嘩ができれば一人前だといわれます。喧嘩そのものはNO!No!と叫ぶだけでもできそうですが、問題なのは喧嘩した後の人間関係の修復です。日本人同士でも、喧嘩をした後の方がかえって仲よくなるというケースをよく体験するはずです。

英語で喧嘩できるということは、喧嘩の後、英語でたがいの関係を修復するよう努力することにつながっていきます。異なった意見をいかに相手に説明するか。自分と異なった意見をどこまで受け入れるか。そうした徴妙な会話ほど、英語の表現力を鍛えるものはありません。


立場が違う時にはたとえ喧嘩になっても、とことん違いにこだわって自己主張することです。そしてその後もさらに人間関係やビジネス交渉が続くようにもっていく。こうした実践を繰り返さなければ、本当に使える英語とはいえないといっても過言ではないでしょう。

「英会話学校は、単に英語を話す能力を培う場というだけでは不十分。グルーバル人材として真のコミュニケーション能力を育成しなければ」という姿勢を掲げているECCでは、日常のクラス内でのレッスンもこの弁論大会へつながるように組み立てられています。

中・上級生のクラスではテーマを与え、五分以内で英語にまとめ、クラスで発表する訓練を行っています。その場でまとめたスピーチの英語の明確さ、発音、イントネーション、速度などをチェック。クラス内の他の受講生の反応もチェックされますから、いかに人を惹きつけ、そして説得力のあるスピーチをするか、という技量が知らず知らず身についていきます。こうした日々のレッスンの集大成が、「ホノルル市長杯全日本ECC英語弁論大会」につながっていくわけです。

ECC各校では、この弁論大会への参加を年間カリキュラムの中に位置づけて、まず、校内大会、地区大会など段階を経て、最終大会への出場者を選び出す仕組みになっています。最終出場者はわずか二四人。ECCの全受講生二六万人のうちの二四人ですから、どれほどの難関であるかがわかろうというものです。

まず、各校レベルの弁論大会に参加を試みるだけでも、その意義は予想以上のものがあるはずです。各校レベルの選考を経て地域ごとの守フロック大会に参加し、ここでさらに選別され、全国大会へ、という狭き門を通って進んでいくシステムになっているからです。まず毎年のテーマに基づいて、自分の主張をまとめなければなりません。

そこには、自分独自の考え方をまとめられていることが求められますし、表現にしても、どこか個性のきらめきを感じさせる表現、聴衆をひきつけてやまない興味深きと魅力、さらにはたゆまざるユーモアも求められます。

「私の場合は環境問題がテーマでした。私の書いた原文に先生が手を入れてくださり、さらにそれを先生がテープに吹き込んでくださったのを、電車の中で繰り返し聞いて、まだビギナー段階だったので丸暗記で臨んだのですが、人前で英語で話すという体験がいかに自信をつけてくれるか、を実感しました」と参加者の一人、山内恵子(仮名)さんは語っています。

彼女もいうように、最大の収穫は、ともかくも人前で英語で話をしてみるという貴重な体験です。日本語であっても、人前で自分の意見を発表するとなると、かなり緊張し、一言一言、慎重に選び、組み立て、事実関係もしっかり確認した上で口に出すものです。まして、自分にとってまだまだ自信のない英語で話すのですから、準備期聞を含めて相当な濃さで、ひとつのテーマと取り組むわけです。この高濃度に凝縮された体験は、英語力だけでなく、時にはその人の性格まで大きな影響を与えることがあるものです。

二つの大会の優勝者は、ホノルル放送局にてインタビューを受けたり、新聞社の取材に応じたりします。もちろん英語によるインタビューが主。また、ハワイに多い日系人の方々のために日本語でも答えることがあり、こうした体験を通して、国際的にコミュニケーションができることの喜びをいっそう深く心に刻みつけていくことになるのです。