英会話スクール奮闘記
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2011年 3月 15日(火曜日) 00:00 |
初めて外国人と話をしたのは、いつだっただろうか。
私が生まれ育った宮城県仙台市は、昔は本当に外国人が少なくて、近所に外国人のお嫁さんが来たときは、それが噂になるくらいだった。
たしか私が面と向かって話した最初の外国人は、私の通う高校に交換留学生として来ていたアメリカ人の女の子。
同級生のH君が留学生の女の子と校内を歩いているところに出会って、言葉を交わしたのだった。
なぜそんなことを覚えているかというと、そのとき留学生の話していることが私にわかったから、なのだ。もっというと、H君にはわからなかったのに、私にはわかったから。
ここでたぶん、わからなくなったであろう皆さんに説明すると、私の高校は「普通科」「音楽家」があって、H君は「普通科」で、私は「音楽科」。その当時、うちの高校の「普通科」というのは東北でも1,2を争う優等生の宝庫で、H君は中でも上の方の成績だったと思う。
一方「音楽科」は、今はどうかわからないけど、私がいた頃は学業的に、かなり「普通科」の足を引っ張っていたレベル。
まあ「音楽」を専門的にやっているわけだから、「アホでもいい。何か楽器が弾けるなら」なんてことは誰も言っていないけれど、英単語を覚えるよりはピアノを弾いたり、歌をカラオケ状態で歌いながら遊んだりしていたわけです。
それで、留学生の女の子と話したとき(といってもお互いの言葉がわからないので、見つめ合って笑う時間が多いのだが)、「車の免許は持っている?(Do you have a driver license?」と怪しい英語で聞いたら、「イエスアイドウバットノーカー!」といった感じの音が返ってきた。つまり、さっぱりわからん。H君も同様で、二人で「もう1回」と言ったら、彼女はもう一度「イエスアイドウバットノーカーインジャパンー!
みたいなことを言ってくれた。 この時、わたしの耳は「プラクティス」らしき単語をキャッチした。日本語で言うと「練習」である。って、自慢げにいうほどの単語でもない。
それで「あー、練習してんだ?プラクティスね!」とそうとう日本語のままで言いつつハンドルを持つ真似をしたら、「イエス、イエス!」と彼女も嬉しそうだった。
こうしてつたないながらも、しばらく話みたいなものをしたのだけど、このとき思ったのが、「単語が拾えれば、あとはカンでわかる」。
そう、勘って大事。たった一つの単語から、いろんな連想を瞬時に行えばいいのです!
大変ですが、そこはそれ、昔から相手の気持ちをくみとって生きてきた日本人。弾が切れるまで、ヘタな鉄砲を撃て!という気概でいけば。
とはいえ、時に人は、予想だにしない主張を持ってるので、肯定と否定を間違えるような危険とはうらはら、でもありますが。
そしてもう一つ思ったのは、「学校の英語の成績と、英会話力は関係ないのかな」ということでした。
あの頃、英語のテストを受けたら、学年は同じでも間違いなくH君のほうが私より成績が良かったと思う。私も英語の成績は悪くなかったけど、「東大も検討範囲」の子にはきっと負ける。でも留学生との会話では、ほとんど差がない、どころか私のほうが先に理解できることのほうが多かったのだ。これが「生の英語」の初体験。
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