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[学校英語コラム]多読しかない日本の英語学習
2016年 7月 11日(月曜日) 00:00

私は、日本の学校の英語教育を変えられるのは多読しかないと思っています。読書を否定する人はいないでしょう。たくさん本を読んで悪いことなど何一つありません。母国語も外国語も同じです。


ここで少し、愚痴をこぼしてみたいと思います。国語の授業は今のままでいいのでしょうか。みなさんが受けた国語の授業を思い出してください。素晴らしい文学作品や、中身の濃い評論文が教科書には載っていますが、結局学校ではそれらを切り刻んで正しい解釈を押しつけられ、先生の言うとおりに解釈しないと、テストで点がとれなくなっています。


好きな文学作品があっても、出てくる漢字を何度も書いて覚えさせられます。夏休みの課題図書はお決まりの夏目漱石です。そして「漱石なんか読みたくない!」と思ってしまうのです。観光で日本に来た中国人と話していて、「お前、日本人のくせに漱石も読んでいないのか!日本にはあんな素晴らしい文学作品があるのに!」と怒られてしまったこともありました。


とにかく、日本の教育には読書教育が決定的に欠けていると思うのです。国語でも多読授業をやるべきだと思います。すでに図書館にたくさん本がありますし、図書館に読みたい本がないという生徒はBookOffの安い中古本をあさってきてもいいのです。読みたい本がないという生徒には、先生がありとあらゆる努力をして、読みたい本を見つけられるようにしてあげる。これが、教育者の役目ではないでしょうか。


また、学校の授業で多読をすれば、周りの友達が本を読んでいる姿を目にします。友達が読書のロールモデルになってくれるのです。友達が何を読んでいるかも気になります。自然と、友達同士で本をすすめあうようになるでしょう。


「本など家で読めばいい」と思う方もいるでしょう。たしかに「本を読むことは素晴らしいことだ。家で本を読みなさい」と言うだけでほとんどの子どもが本を読んでくれるなら、こんな楽なことはありません。しかし、今の中学生、高校生は習いごとや塾で忙しく、それに加えて、今の大人が若かった頃には存在しなかった、様々な誘惑が彼らを取り囲んでいます。授業が終われば部活動をして、さらに塾にも行かなければなりません。家に帰ると、スマホを手に取りLINEやTwotterをします。Youtubeで動画も見たいし、ゲームもやりたい。宿題もある。これでは好きな本を読む時間など確保できるはずがありません。


このように、読書の習慣自体がない子どもが多いのですから、きっかけを学校で与えてあげなければ、読書時間を生活の中に確保することは、非常に困難なのです。冷静に考えてみてください。1時間国語の授業を受けるのと、同じ1時間を好きな本を読むことに没頭するのと、どちらが国語力がつくと思いますか。


様々な読書推進教育もありますが、毎週1時間、1クラス40人ほどの生徒が教室でそれぞれ好きな本を読む時間をつくってあげるだけで、読書が好きになる子どもはどんどん増えていくはずです。多読授業こそ、学校でやるべき理想の読書教育なのです。


英語も同じです。英語でたくさん読むこと自体を否定する英語の専門家も先生もいないでしょう。英語が必要になる場面が極端に少ない日本にいながら、たくさんの英語を浴びるためには、読みたい本をたくさん読むのが一番手っとり早い方法です。英語が使えるようになるだけではありません。読書なのですから、大学の先生方が言われる「言語と文化の多様性と面白さに気付き、思考力や感性を拡充する」という素晴らしい教育目標も達成できるでしょう。


英語の場は、学校で本を揃えて多読授業をする意味はさらに大きいのです。英語の本は普通身の回りにはないでしょう。Bookoffで100円で買うこともできません。Amazonで探そうにもどのくらいの本なら楽しんで読めるかがわからないでしょう。英語の勉強ばかりしてきた生徒は「辞書も使わずに楽しんで読もう」と言われても、「できるわけないだろう」と思います。だからこそ、学校で本を揃えて、最初のうちは先生がアドバイスしながらすすめていくことが必要なのです。


「本を読むだけでは授業ではない!」という先生は、教育の本質をわかっていないのではないでしょうか。ロビン・ウィリアムズ主演の映画「いまを生きる」では、「偉大な教師は心に火をつける」という言葉がありますが、多読授業をやっていれば教師だけではなく周りの友達が火をつけてくれることもあるのです。まさにこれこそ協同学習そのものです。


また、先生自身も多読をすることで、英語に対する考え方が今とはガラっと変わります。私もそうでした。私は以前、文法至上主義者でした。文法の仕組みをわかりやすく教え構文をひたすら暗記させる。そうすれば英語なんてできるようになる、と信じて疑わなかったのです。


サッカー部の顧問をしていたときには、3年生も合宿につれていき、夕飯が終わると部屋に閉じ込もり構文例を全部暗記させていました。そこまでやっても、入試に落ちて、長文も読めるようにならなかったのです。そんなときに多読と出会ったのです。


英語が好きな生徒に声をかけ1,000円ずつ集め、自分も1万円ほど出して本を買い、多読をはじめてみました。すると、生徒はどんどん読んでいくのです。3カ月ほどで、「もう全部読んじゃった」。今度は校長にお金をせがみにいき、10万円ほど出してもらい、さらに本を買いました。もともと英語が好きで得意な生徒たちだったこともあり、1年もするとペーパーバックを自分で買って読む生徒も出てきました。文法至上主義の私は、本当に驚きました。


自分自身、辞書を捨てて好きな本を読むと発想を変えただけで、英語で本を読むのが楽しくなりました。昔買った数ページ読んだだけであきらめてしまっていた村上春樹の「ノルウェイの森」の英語版を、1晩で読んでしまうこともありました。巷の多読実践者の方々と出会い、英語教育に対する考え方もどんどん変わっていきました。試しに受けてみたTOEICも960点を取りました。自分でも信じられないくらいの変化です。


ウソだと思う方は、ぜひ自分で1年間多読をしてみてください。私が感じた変化を実際に体験していただけると思いますし、例えば「TOEFLの方が入試問題よりも読みやすい」という感覚がわかっていただけると思います。


私は、英語教育学者や学校の先生の机上の理論ではなく、生徒や自分を含め、実際に体験した人の声を聞いて、多読を信じるようになったのです。最近では、英語の専門家や学校の先生も多読についていろんなことを言われていますが、結局はテストの点とか読解力やリスニング力という話になってしまっています。


多読の本質はそこではありません。最初は「英語ができるようになりたい」と思って始めたけれど、そのうちに本を読むこと自体が楽しくなる。気がついたらいろんな本が読めるようになっている。楽しいからもっと読みたくなる。まさに外国語で本を読むという、今まで知らなかった体験ができるのです。


大学の先生方が主張される言語に対する感性が育っていくのです。インターネットで英語多読の掲示板などを見てみてください。多読をしている方の、生き生きとした体験が手に取るようにわかります。母語でも外国語でも、多読のない言語教育など考えられません。