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【子ども英会話教室コラム】アメリカのニューヨークへ行くことになった
2015年 5月 15日(金曜日) 00:00

そうこうしていたら、クリスさんから話があると言われました。「今度はアメリカに行ってみないか?」

ええ!?とびっくりしましたが、アメリカにいるクリスさんの知り合いが、泊めてくれるというのです。アメリカにはストライプトバス(縞スズキ)という魚がいるのですが、それを釣ってみないかと誘われました。


そのころ、すっかり釣り好きになっていた私は、その魚に興味が湧いてきました。また当時世界の超大国として確固たる地位を築いていたアメリカに、とても興味がありました。


いったい、どういう人がいて、どういう生活をしているのだろう。そして、オーストラリアでの滞在期間が終わってから、アメリカに行くことにしました。しかしこの時は、アメリカで起こる人生の一大転機には全く気付いていませんでした。


アメリカでは森さんという日本人の方にお世話になりました。ストライプトバスの生息地の1つが、ニューヨークのマンハッタンとニュージャージー州の間にあるハドソン川です。このハドソン川の支流のニュージャージー川に森さんの会社がありました。

その会社の外に船着き場があって、そこにいつも数台のボートを停めています。ボートのライセンスを持っているアメリカ人や日本人の方と同乗し、釣りに出かけました。ハドソン川にはストライプトバス以外にも、フルークと呼ばれるヒラメや、フラウンダーと呼ばれるカレイ、ハドソン川名物のブルーフィッシュや、ブラックフィッシュなど、いろいろな魚たちが生息していました。

それぞれの魚には釣れる時期があるため、毎回ストライプトバスを狙うわけにはいかなかったので、色々な魚を狙いながら、釣りをしていました。この時は、自由の女神をボートの上から毎日見たり、国連の建物の前で釣りをしたりなど、とても刺激的な経験がたくさんありました。 


英語に関しては、アメリカ人以外の人たちが集まって行う読書グループがあり、そこに参加していました。英語の本を読むというのはニュージーランドで釣りの本を読んだ時以来で、他の方のようにスムースに読むことができません。

分らない単語も多く、みんなの前で読む番が回ってきたときは、頭がのぼせているようでフラフラとなりそうな時もありました。それでも、この時の多読が今の読書スピードにつながっていると思うと、この時にみっちりと読む練習をしていてよかったなと思います。


英語においても、量を読む稽古はスポーツと同じでとても重要だと実感したのはこの時です。今では、忙しい毎日の合間を縫って、毎月アメリカから送られて来るニュースレターや英語の本を年に50冊程度読んでいます。


そしていよいよ、私にとって運命の出会いが訪れます。ある日、読書会で知り合ったアメリカ人の友人と、電車でマンハッタンに向かいました。電車を降りると、映画でしか見たことがない、あの街並みが目の前に広がっています。

そして、行きかう人、人、人。世界有数の大都市であるニューヨークの中心部は、今まで行ったとこよりもはるかに都会的・近代的でした。思わず自分の格好を見て、場違いな気がしてしまったのも、無理がないかもしれません。


そんな中、友人に連れられて行ったのは、44番ストリートの一角にあるスターバックス。そこで、彼は彼の友達と会う約束をしていたのです。そして、彼の友達は、その友達を連れていました。その女性が、後に私の妻となる女性だったのです。

私は彼女を見たとき、「こんな素敵な女性がいるのか!」とびっくりし、背中に衝撃が走りました。私はどこにでもいる平凡な男性ですが、のちに彼女から聞いた話では、彼女も何か運命的なものを感じたそうです。


この本は英語教育のためのコラムですので詳しい内容は省きますが、2人は恋におち、そして結婚しました。出会ってから、結婚式まで1ヶ月。今考えると、本当に超スピード結婚でした。我ながら呆れるくらいの速さですが、今でも仲が良いのでよかったのだと思います。 

この後、お互いの都合で一緒にいることはできず、1年半ほどバラバラの生活になります。当時でもメールはあったのですが、もっぱらお互い手紙を書いてやり取りをしていました。その時の手紙を彼女は時々持ち出して来て声に出して読むのですが、恥ずかしくて聞いていられません。同時に、今その時の手紙を読むと、若いっていいことだなあと強く思います。


その後、私は再びオーストラリアに戻り、今度はオーストラリアの永住権を持っている友人の家に居候をさせて頂いていました。クリスさんとの交流も続き、何人かの仲間で集まって、釣りに行く日々は続いていました。

時々出たり入ったりして、10ヵ月ほど経ったある日、電話でアメリカにいる(1度も一緒に暮らしたことのない妻)と話をしていると、彼女が今度ニュージーランドに行ってもいいかと聞いてきました。


カリフォルニア州にあるニュージーランド人のコミュニティーの有力者から招待を受け、ニュージーランドで英語を教えてほしいという話が出ているとのことでした。私は、一度行ったあのニュージーランドとまた縁があるのかと驚きながらも、ニュージーランドでの引きこもりの日々を思い出し、そして強く思いました。


「もう一度、ニュージーランドに行かなくてはいけない」

そして、結婚式から 1 年半後に、私たちはニュージーランドで再会することができました。最初に私がニュージーランドに入っていましたので、後から来た彼女を迎えに空港に行き、飛行機から降りてきた彼女を見たとき、お互いの再会を喜び合いました。

それから約1年、私たちはニュージーランドに滞在していました。妻は小学校で児童を相手に日本語、特に茶道を教えていました。


ニュージーランドを指して「フレンドリーアイランド」という名前は伊達ではなく、男性も女性も体が大きく、外見は一見こわもてなのですが、とても優しい人たちが多かったのです。いつも私たちがきちんと生活しているか気にしてくれ、様子を見に来てくれたり、食べ物を御裾分けしに来てくれたり、一緒に遊んだりなど、そこでの生活は、日本とは全く異なるものでしたが、ホームシックに掛る余裕がありませんでした。

以前ニュージーランドを訪れた時に来てくれていたニュージーランド人の友人の妹さんも、この時何度か来てくれました。最初来た時は私が英語を話せるようになっていたので、びっくりしていましたが。


本当に楽しい日々を過ごさせて頂いていましたが、妻が妊娠したため、日本に帰ることにしました。早産になる可能性が高かったので、きちんと設備の整ったところで出産をしてもらいたいと思ったためです。